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徳島地方裁判所 昭和59年(ワ)15号 判決

主文

一  被告は、原告港次郎に対し、一七六四万六八五五円及びこれに対する昭和五九年一月二九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告港秀子に対し、一七一〇万四三五五円及びこれに対する昭和五九年一月二九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、被告の負担とする。

五  この判決は、第一、二項に限り、仮に執行することができる。

理由

【事 実】

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告港次郎に対し、二〇五八万五九八七円及びこれに対する昭和五九年一月二九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告港秀子に対し、二〇〇四万三四八七円及びこれに対する昭和五九年一月二九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

l 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

(概要)

本件は、原告らの長女美樹が被告病院入院中に急性腎不全により死亡したのは、被告病院の医師が腎機能に関する注意を怠り、<1>急性腎不全の診断に必要な諸検査を実施せずその診断が遅れた過失、<2>腎不全に至るおそれのある薬物を継続投与した過失、<3>腎障害性薬物を投与した過失等によるものであるとして、原告らが、医師の使用者である被告に対し、債務不履行に基づき、死亡による損害等の賠償を求めたものである。

被告は、これに対し、患者の原疾患が自律神経症状を主症状とする病因不明の「アキュート・オートノミック・ニューロパチー(AAN)」であり、急性腎不全の診断が困難を伴うものであつた等の事情を指摘しながら、医師には腎機能に関する注意を怠つた過失はない旨を主張して争つた。

一  請求原因

1 港美樹(昭和四七年八月一六日生。以下「美樹」という。)は、原告らの長女であり、昭和五七年一一月一八曰被告の経営する徳島県立中央病院(以下「被告病院」という。)において死亡した。

2 経過概要

(一) 昭和五七年九月七日原告らは、美樹の法定代理人親権者として、被告との間で、美樹の諸症状に対する被告病院における診断及び治療を目的とする医療契約を締結した。

(二) 美樹は、発熱、頭痛等により昭和五七年九月七日被告病院を訪れて診察を受け、同月一〇日ころからは嘔吐、腹痛等があつたため、同月一二日同病院で鎌田君代医師(以下「鎌田医師」という。)の診察を受け、同医師の指示により被告病院に入院し、以後、鎌田医師が主治医として美樹の診療にあたることとなつた。

(三) 入院後死亡までの経過

(1) 美樹は入院直後から、嘔吐症状が続き、食欲低下、全身皮膚乾燥、口唇・口腔の乾燥、唾液僅少、倦怠感等の症状のほか、下痢、便秘を繰り返した。

(2) 鎌田医師は、九月末美樹の諸症状についてアキュート・オートノミック・ニューロパチー(以下「AAN」ともいう。)と診断した。同病は自律神経症状を主症状とするが、病因不明で、自律神経の異常そのものを是正する方法がなく、美樹に対しても、個々の症状に対する対症療法を施すしかなかつた。

(3) 一〇月に入つても美樹の嘔吐、下痢を中心とする症状の改善はみられず、脱水症状、栄養失調状態が進行した。とくに嘔吐症状が強いため食物の経口摂取が困難となり、一〇月二一日からはIVH(中心静脈栄養。右鎖骨下静脈からカテーテルを挿入して高カロリー輸液を直接中心静脈に静注する方法による栄養補給)の施行となつた。

しかし、美樹の嘔吐、下痢は続き、栄養状態は改善されなかつた。

(4) 一一月に入つて、美樹の嘔吐症状はとくに頻回となり、一一月一〇日には著しい電解質異常(ナトリウム値一一五という低ナトリウム血症)をきたした。また、口唇乾燥・亀裂・出血、皮膚乾燥が続き、肩で大きな呼吸を繰り返すようになつた。一五日からは尿量が減少し、尿比重も低下した。一六日には全身の痛みを訴え、一七日午前には顔面浮腫が表れ、浅眠状態となつた。

(5) 一一月一七日BUN(血中尿素窒素)の検査結果が一一一・八ミリグラムの異常高値であり、血液ガス検査(酸塩基平衡検査)の結果もpH値七・〇九七という完全な代謝性アシドーシス(酸性血症)を示したことから、同日午後四時すぎ、鎌田医師は美樹の急性腎不全を確診した。

しかし、この時点では美樹はもはや救命不可能な状態にあつた。

(6) 同日午後六時美樹は集中管理治療室で腹膜潅流による透析療法を受けたが、翌一八曰午後一二時五三分急性腎不全により死亡した。

3 鎌田医師の過失(注意義務違反)

(一) 診断上の過失

(1) 急性腎不全の診断

急性腎不全の診断の根拠となるものは次のとおりである。

<1> 尿量

発症すると通常一日の尿量が四〇〇ミリリットル以下の乏尿となる。

<2> 尿比重

<3> BUN(血液尿素窒素)値

クレアチニン値

<4> 電解質異常

<5> 酸塩基平衡異常(代謝性アシドーシス)

<6> その他の臨床症状

傾眠、錯乱、昏睡等種々の程度の意識障害が起こりやすい。また、アシドーシス状態が進行すると、大きな肩呼吸、深呼吸の繰り返しが表れる。

(2) 美樹の臨床症状

イ 美樹には、一〇月二一日からIVH(中心静脈栄養)による高カロリー輸液が施行されている。高カロリー輸液は、酸塩基平衡失調(代謝性アシドーシス)、電解質異常など代謝に起因する合併症をきたすおそれもあるものであり、慎重な栄養管理が必要とされる。

また、IVHにより投与されたプロテアミン(アミノ酸輸液)は副作用として大量・急速投与によりアシドーシス、腎障害の現れるおそれがあり、腎障害ある患者には慎重投与の必要があるものであつた。

ロ 一一月に入つて美樹の嘔吐はさらに頻回となり、その回数及び量は次のとおりである。

同月四日 二回

同月五日 三回

同月六日 六回 三二八グラム

同月七日 八回 一一九グラム

同月八日 七回 八四グラム

同月九日 五回 一三二グラム

同月一〇日 七回 一八一グラム

同月一一日 四回 八九グラム

同月一二日 〇回

同月一三日 三回 一九六グラム

同月一四日 一回 一〇五グラム

同月一五日 〇回

同月一六日 〇回

同月一七日 〇回

美樹は、かかる頻回の嘔吐によつて、多量の水分、電解質を喪失するおそれのある状態にあつた。

ハ 一一月一〇日の血清電解質検査の結果がナトリウム値一一五という電解質異常(低ナトリウム血症)を示した。

ニ 一一月一五日の尿量が二九五ミリリットルに急減(前日の尿量は一〇二〇ミリリットル)した。

同日の尿比重は一〇一三値であつた。

ホ 入院直後から口唇乾燥、皮膚乾燥等の症状が続き、脱水症状を呈していたが、一一月に入つてからも次のとおりの症状であつた。

(一一月六日)

口角切れ、皮膚乾燥。

(同月七日)

皮膚乾燥、るいそう(羸痩)著明、口唇亀裂乾燥、肩で息をしている。

(同月八日)

口唇ただれ・出血、時々深呼吸。

(同月九日)

口唇乾燥・ただれ。

(同月一〇日)

大きな肩呼吸を繰り返す。

(同月一一日)

口唇乾燥・亀裂・出血。

深夜、浅眠中体に触れると開眼、「そこに誰か立つている」と言い、「お母さん、あぶない、聞こえんの」と急に眼を開けて言うなど不穏幻覚をきたす。

(同月一三日)

肩で大きな息をしている。

(同月一四日)

口唇乾燥、口角亀裂、大きい深呼吸をする、胸苦。

(同月一五日)

胸内苦悶あり、深呼吸、口臭、口唇あれ、るいそう(羸痩)著明、皮膚乾燥。

(同月一六日)

皮膚乾燥、口唇乾燥、時々深呼吸。

午後六時ころ、肩で大きな呼吸をする。

午後七時三〇分ころ、うとうと浅眠。

午後九時ころ、体を動かすと痛み、背をさすることもできない。

(一一月一七日午前二時ころ)

胸苦訴え、ふるえるような動きあり、閉眼し浅眠状態。

(同日午前四時ころ)

閉眼、呼吸荒い、何度も呼びかけ胸苦を問うと首をふる。

(同日午前六時ころ)

睡眠中だが呼吸荒い、何度も呼びかけると返答する。

(同日午前七時ころ)

胸苦訴える、呼吸荒い。

(同日午前九時ころ)

鼻翼時々動かし呼吸連拍、呼んでも応答なし、顔面浮腫、下痢便失禁あり。

(同日午前一〇時ころ)

呼んでも応答なし、顔面浮腫

ト 一一月一五日以降一七日に至るまで尿中白血球数が増大、無数であつた。そこで、感染が疑われ、抗生物質セファメジンが投与されたが、セファメジンは副作用として腎障害の現れるおそれのあるものであつた。

(4) 診断上の注意義務

(美樹の腎機能に関し注意すべき義務その1)

前記のとおりの美樹の臨床諸症状に照らせば、鎌田医師は、一一月一〇日過ぎ以降の時期に、美樹の腎前性腎不全の罹患を予見し、その診断に必要な基礎的諸検査を実施するなど、美樹の腎機能に関して注意すべきであつた。

すなわち、<1>BUN(血液尿素窒素)検査、<2>クレアチニン検査、<3>血液ガス検査(酸塩基平衡の検査)を実施すべきであつた。

(5) 診断上の注意義務違反(過失)

しかるに、鎌田医師には、次のとおりの過失がある。

イ  諸検査の不実施

鎌田医師は、一一月一〇日過ぎ以降の時期に、美樹の腎前性腎不全の罹患を予見し、その診断に必要な諸検査を実施すべきであつたのに、これをしなかつた。また、一一月一五日の尿量が急性腎不全を疑わせる乏尿であることが明らかとなつた時点でも同様の諸検査を実施しなかつた。

<1>BUN検査

鎌田医師は、一一月一一日以降、同月一七日までBUN検査を実施しなかつた。一七日のBUN値は一一・八という異常な高値を示した。

<2>クレアチニン検査

鎌田医師は、一一月一一日以降クレアチニン検査を実施していない。

<3>血液ガス検査

鎌田医師が血液ガス検査をようやく実施したのは、一一月一七日に至つてからである。それまで、同検査は実施されていない。一七日の検査結果はPH値七・〇九八という完全な代謝性アシドーシス(酸血症)を示し、すでに救命不可能な状態であつた。

(二) 治療上の過失

(1) 治療上の注意義務

(美樹の腎機能に関し注意すべき義務その2)

鎌田医師は、前記美樹の臨床諸症状に照らし、美樹の腎前性腎不全の罹患を予見・警戒すべきであり、したがつて、美樹の個々の症状に対する対症療法を施すにあたつても、腎不全へと至るおそれのある諸症状を悪化・増悪させてはならず、また、腎機能障害を増悪させるおそれのある薬物投与は慎重にすべきであつた。

(2) 治療上の注意義務違反(過失)

しかるに、鎌田医師には、次のとおりの過失がある。

イ  TRHの投与

TRH(TSH・プロラクチン分泌ホルモン剤)は、副作用として嘔吐症状がある。美樹には、入院中、吐気、嘔吐の症状が終始継続したが、とくにTRH投与直後には強く吐気、嘔吐を訴えた。

鎌田医師は、一〇月七日からTRHを継続投与し、途中、宇山医師の指示で一一月三日、四日投与が中止されたが、同月五日から再び投与を続け、同月一二日田中医師の指示で投与が中止されるまで、TRHの投与を継続した。

鎌田医師には、嘔吐の副作用のあるTRHを美樹に投与し続け、美樹の嘔吐症状を増悪させた過失がある。

ロ  腎障害性薬物の投与

<1>ハイカリック2号液

ハイカリック液は、重篤な腎障害のある患者には禁忌となつており、腎疾患に基づく腎不全のある患者には慎重に投与すべきものである。

鎌田医師は、一〇月二九日に始まり一一月一二日までの間、三日間(一一月六日、九日、一〇日)を除いて毎日七〇〇CCのハイカリック2号液をIVHにより投与し続けた。

<2>プロテアミン12

プロテアミン12は、重篤な腎障害又は高窒素血症のある患者には禁忌であり、高度のアシドーシスのある患者、腎障害のある患者には慎重に投与すべきものである。

鎌田医師は、一〇月二九日から一一月一四日までの間、三日間(一一月六日、一〇日、一三日)を除いて毎日四〇〇CCのプロテアミン12を投与し続けた。

<3>セファメジン

セファメジンは、腎臓に対し副作用があり、BUN上昇、クレアチニン上昇、乏尿等の腎障害が現れることがあるので、その使用に際しては、尿観察を十分に行い、乏尿等の尿異常所見、BUN上昇、クレアチニン上昇等の腎障害が認められた場合は投与を中止する等適切な処置を行わねばならない。

鎌田医師は、美樹に一一月一五日以降乏尿が現れる尿異常所見が認められるにもかかわらず、一一月一五日、一六日、一七日、セファメジンを投与した。

4 被告の責任

被告は、鎌田医師を被告病院の小児科医師として雇傭し、鎌田医師は、被告の履行補助者としての地位にあつたものであるから、鎌田医師の前記過失により生じた損害を原告らに対し賠償する責任がある。

5 損害

(一) 美樹の損害

美樹の被つた損害は左のとおりであり、原告らは、その賠償請求権をそれぞれ二分の一宛相続した。

(1) 逸失利益 二一五八万六九七四円

昭和五七年度賃金センサス女子一八才の平均賃金にホフマン係数二〇・〇〇六を乗じ、生活費割合を〇・三五として算出した。

(2) 慰藉料 一五〇〇万円

(二) 葬儀費用

原告港次郎は、美樹の葬祭費として、五四万二五〇〇円を出費した。

(三) 弁護士費用

原告ら各自につきそれぞれ一七五万円の弁護士費用が必要である。

6 よつて、原告らは、被告に対し、債務不履行による損害賠償として、原告港次郎は二〇五八万五九八七円、原告港秀子は二〇〇四万三四八七円、及び右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五九年一月二九日から各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二 請求原因に対する認否

1 請求原因1は認める。

2(一) 請求原因2(一)は認める。

(二) 同2(二)は認める。

(三) 同2(三)の(1)ないし(6)はいずれも認める。

なお、(5)のうち、美樹が救命不可能であるとは、当時の美樹の栄養状態、体力から考えて、血液ガス検査の結果がPH値七・〇九七あるいは六・九五九という状況ではもはや救命は不可能であるということである。

3(一)請求原因3(一)の(1)及び(2)は認める。

同3(一)の(4)及び(5)は否認する。

鎌田医師に美樹の腎機能に関する注意を怠つた過失はない。

(二) 同3(二)の(1)及び(2)は否認する。

4 請求原因4のうち、鎌田医師の雇用関係は認めるが、その余は争う。

5 請求原因5はいずれも争う。

三 被告の主張

1 診療の経過

(一) 美樹は気管支喘息の既往歴ある一〇才の女児であつたが、昭和五七年九月七日、頭痛、発熱を訴えて被告病院小児科に外来患者として来院し、咽頭部に軽度の発赤を認め、咽頭炎と診断して投薬、同月九日、一一日と来院したが、その間、嘔吐、食欲減退、倦怠感、便秘、口蓋部から咽頭にかけて発赤、顎下リンパ節に軽度の腫張、腹部に軽度の膨隆を認め、検血・検尿の結果、白血球数の異常を認め、発熱の原因は、ウイルス性の感染症と考え、処方した。

(二) 九月一二日夕方、著しい食欲低下、下痢、腹痛、嘔気、嘔吐により救急外来受診、腹部立位レ線検査にてニボー(鏡面像。腸内の液体と気体が水平線を画し、腸の正常な動きが低下した状態)を認め、直ちに入院となつた。

その他の入院時所見としては、顔貌やや無表情、眼瞼結膜に貧血なく、咽頭発赤も認めず、胸部理学的所見では異常なく、腹部触診にて肝臓、脾臓及び腫瘤を触知せず、圧痛・筋性防御申立なかつたが、聴診にて腸蠕動音の低下が認められるとともに、下腹部の膨満があつて排尿後も膨満の軽減はみられなかつた。よつて、ウイルス性の腸大腸炎を考え、抗生物質、嘔気止めの薬品、栄養剤等を点滴の方法にて静注した。なお、検血、電解質検査、血球分類検査等も行つてみたが、著変は認められなかつた。

(三) 翌九月一三日には、腹部レ線検査の結果、ニボーは消失したものの、腹部膨満著明で自排尿が少なく(そのため導尿実施)、一四日には泌尿器科に対診を求め、薬剤を一時中止してみることとした。しかし、その後も自排尿困難の状況が続き、嘔吐、便秘又は下痢、食欲不振等の状況もさしたる改善がみられず、同月一六日には肝機能検査、電解質検査、一般検査、血球分類検査を実施したが顕著な異常はみられず、肝機能、腎機能の異常は発見できなかつた。心因性のものも考え、一六日晩及び一八日晩から二〇日朝にかけて本人の希望もあつて自宅外泊をさせてみたが、その間もほとんど食事がとれず、嘔吐も改善されなかつた。また一八日には頭部レ線検査をしたが脳腫瘍等の形跡はみられなかつた。

(四) よつて、九月二〇日から輸液(点滴静注)を再開して栄養補給につとめるとともに、原因疾患発見のため次のような諸検査を行つた。

<1>腹部レ線検査の結果、異常に拡張した結腸像を認めた。 (二〇日)

<2>ルンバール(腰椎穿剌、脳脊髄液の調査)の結果は正常であつた。 (二〇日)

<3>眼科対診の結果、両瞳孔の散大、対光反射の欠如(自律神経系の異常)が認められた。 (二〇日)

<4>I・V・P(経静脈性腎盂造影。腎臓各部のレ線検査上の形態等から腎機能障害の有無をしらべるもの)の結果、異常は認められなかつた。 (二一日)

<5>頭部CT(コンピューター断層撮影)の結果、脳腫瘍等の異常は全く認められなかつた。 (二一日)

<6>注腸透視(腸内に造影剤を入れて透視するもの)の結果、上行・下行・横行・S状の各結腸に狭窄等の異常はみられなかつた。 (二二日)

<7>アドレナリンテスト(交感神経系の異常をしらべるテスト)の結果、陽性であり、交感神経の相対的な緊張亢進又は興奮性亢進があると判定された。 (二四日)

<8>アトロピンテスト(副交感神経系の異常をしらべるテスト)の結果は陰性であつた。 (二五日)

<9>ノルアドレナリンテスト(副交感神経系の異常をしらべるテスト)の結果、副交感神経の反応性は残されていると考えられた。 (二八日)

<10>アセチルコリンテスト(副交感神経系の亢進の有無をしらべるもの)の結果は陰性であつた。 (三〇日)

<11>脳波検査の結果は異常がなかつた。 (三〇日)

(五) 以上のような諸検査結果と血液生化学、肝機能、尿、抹消血液像等の臨床検査成績、美樹の諸症状等を総合し、九月末には、アキュート・オートノミック・ニューロパチー(AAN。強いて和訳すると、「急性中枢性自律神経病」となるが、自律神経失調症とは異なる疾患である。)を疑うに至つた。

AANは、多くは起立性低血圧、発汗低下、唾液や涙分泌低下、瞳孔散大、対光反射・輻輳反射の欠如、排尿障害、下痢又は便秘、嘔吐等の自律神経症状を主症状とし、いまだ報告例も少なく、病因も不明で、その治療方法についても確立されていない。したがつて、自律神経の異常そのものを是正する的確な方法はなく、個々の症状に対する対症療法を施してゆくほかはなかつた。

とくに美樹の場合、下痢又は便秘が繰り返され、食欲低下して経口食品が十分に得られず、また激しい嘔吐もあつて体力の消耗が著しく、体重の減少、脱水症状、極度の栄養不良となり、さらに進行する危険があつた。

(六) そこで、従来からの点滴静注による栄養補給のほか、九月二九日にはフィーディングチューブを挿入してハイネックスR等の流動食を摂取させるようにし、一時期栄養状態、その他症状も改善しかけたかにみえたが、一〇月中旬からさらに栄養状態は悪化し、同月二〇日には体重が二〇キロ(入院時の体重は二四・五キロ)となるに及んで、栄養補給をさらに高度のものにする必要に迫られ、同月二一日からIVH(中心静脈栄養)を施行し、高カロリー輸液による栄養補給とともに電解質バランスの調節につとめた。

その後、体重は二二キロにまで回復したものの、AANの主症状である嘔吐や下痢は去らず、、瞳孔異常、対光反射消失や食欲の著しい低下の状態が続き、栄養状態も改善されず、体重も再び二一キロ前後となつた。

この間、血圧測定、検尿はほとんど毎日行い、肝機能検査、電解質検査、一般検査、蛋白分画、血球分類検査等もたびたび行つて、尿、血液の状態の監視を続けた。

(七) ところが、一一月一四日には多量の排尿があつたのに、一五日には尿量が急に減少(二九五ミリリットル。翌一六日午前六時集計。)した。一六日念のため胸部レ線検査を行つたところ、肺水腫等の異常はなく、腎不全や心不全の徴候は認められなかつた。しかし、一六日の尿量もさらに減少し、二一一ミリリットル(一七日午前六時集計。)であつたので、一七日午前BUNの検査をしたところ、一一一・八ミリグラムの高値を示した(この結果は同日午後判明。)。また一七日午前から顔面浮腫を生じ、傾眠状態となつた。血液ガス検査を行つたところ、代謝性アシドーシス(酸性血症)が認められた。

よつて、急性腎不全の診断のもとに集中治療室に移し、同月午後六時から腹膜潅流による透析療法を開始した。翌一八日午前一一時四五分まで継続して二四回にわたつて潅流液の注液、貯留、排液をくり返したが病態は改善されず、同日一二時五三分死亡が確認された。

2 美樹のAAN罹患

以下のとおり、美樹はAANに罹患していたものである。

(一) AAN

AANは、主として自律神経の異常を中心とする症例の少ない稀な病気であり、今日なお研究途上にある原因未確定、治療方法不明、予後についての見解も試行錯誤の段階にある病気である。

(現に美樹罹患の前後数年間の文献、研究の結果等には格段の差異があり、今後も症例の増加、諸検査方法の進歩、解剖例による新発見等によりAANは順次解明されてゆく未知の世界にある病気であるといつてよい。)

(二) AANの症状

自律神経症候が主であり、起立性低血圧(立ち眩み)のほか、排尿障害、嘔吐、下痢、便秘などの消化器症状、発汗障害、皮膚乾燥、瞳孔障害として散瞳かつ対光・調節反射の消失、涙液分泌減少、唾液分泌障害、口内乾燥感等がある。

右の自律神経症状以外に、感覚及び運動障害を示すものもあり、精神症状として不眠、嗜眠、忍耐力の低下、感情不安定などの例もある。

(三) 美樹の臨床症状とAAN罹患

(1) 美樹の臨床症状

入院時から、嘔吐、腹痛、下痢、脱水等の症状があり、その後も、嘔吐、嘔気、下痢、腹痛、食欲不振、排尿困難、嗜眠傾向、口唇及び舌の脱水(乾燥)、皮膚乾燥、瞳孔散大、対光反射欠如、口腔粘膜乾燥、膝蓋腱反射低下、唾液分泌低下、発汗なし、流涙なし、倦怠感、体重減少著明等といつた自律神経症状を中心とする諸症状が続いていた。

(2) 右の諸症状はほとんどAANの諸症状に合致している。他に病変はなく、アドレナリンテスト等自律神経系テストの結果によつても、美樹がAANに罹患していたことにまちがいはない。

(四) したがつて、美樹の栄養状態、全身状態を悪化させていつたものはAANである。

3 診断上の過失の不存在

(一) 美樹の急性腎不全診断の困難性

急性腎不全が示す諸症状とAANの臨床症状とは極めて酷似する。尿閉、脱力倦怠感、無表情、意識障害、痙攣、脈拍異常、知覚異常、食欲不振、悪心、嘔吐、唾液腺分泌機能減少、口内乾燥、傾眠、錯乱などの諸症状はAANと急性腎不全とで完全に共通している。このことは美樹について急性腎不全の早期診断を非常に困難にさせる結果を招いた。急性腎不全ではないはるか以前からこれと共通する諸症状を、原疾患たるAANが継続反復して示しており、その識別・診断を適確に行うことは医師にとつて難作業である。

本件においては、急性腎不全が全くわかつていない段階で、AANに罹患した患児について、自律神経の関連する、あるいはIVH(中心静脈栄養)のもたらし得るあらゆる病変、とくに肝臓、心臓等にも満遍なく注意を払いながら腎機能にも注意しなければならない状況だつたのであり、そのような基本的視野のもとに医師の対応の是非が問われなければならない。

(二) 診断上の過失の不存在

鎌田医師は、次のとおり、美樹の腎機能に関しても十分注意して診療を行つており、原告ら主張の診断上の過失は存在しない。

(1) 一一月一〇日の電解質異常以後

イ  一一月一〇日にナトリウム値一一五、クロール値七八といずれも正常値から低下した数値が出た。

しかし、これだけで腎機能の低下を疑うことはできない(電解質以外の諸検査結果にはとくに異常はみられなかつた。)。

ロ  右電解質の異常に対しては、IVHの輸液組成を調整することにより補正措置をとり、そのため電解質のバランスは順次改善され、一六日には完全に復調した。

一〇日は鎌田医師が担当したが、一一日から一三日までは鎌田医師出張のため小児科部長田中弘医師が担当した。田中医師は経験豊かな小児科医であり、尿の様子にもとくに注意を払つている。当時尿はよく出ており、腎機能の低下の状況は全くない。一四日は休日で当直の湯浅安人医師が担当したが、同医師もカルテに「浮腫なし尿よく出ている」と記載しており、腎機能に注意しながらもその低下がないと判断している。現に一四日分の尿量は一〇二〇CCと測定されており、尿比重についても濃縮力の低下はみられず、この時点では美樹が急性腎不全になつていないことは確実である。

一五日からは鎌田医師が担当したが、一五日朝採血の検査結果ではカリウムが低下していたので、直ちに輸液組成を調整し、その結果、一六日には電解質は完全に復調した。

(2) 一一月一五日の尿量減少以後

イ  一五日の尿量が二九五CCに減少し(一六日午前六時集計)、その減少にもかかわらず一五日の尿比重が一〇一三と低下した(尿が濃縮されていないことを示す。)。

鎌田医師は、膀胱は張つていない(排尿困難による減少ではない)ことから、腎機能の低下を心配し、一六日胸部レ線写真を行つたが、腎不全初期の所見である肺水腫、心不全の徴候はなかつた。

(輸液等による水分補給量に変動がなく嘔吐下痢による水分喪失がない場合に尿量が少ないことは体内における水分貯留を意味するが、〔体液の過剰→鬱血性心不全→肺水腫〕は、腎不全初期の重要所見である。その徴候を認めなかつたものである。)

ロ  ただ、一六日も尿量が減少しているのに尿比重が一〇一三と低下(等張尿一〇一〇に近い)していることからやはり腎機能の低下が疑われた。

ハ  また一五日から尿中白血球が無数となつており、何らかの感染を疑わせた。感染により、耐糖能が低下して高血糖状態を招いたり、代謝機能が低下することがあり、その代謝速度に輸液速度を合わせる必要も考えられた。美樹の輸液速度については常に注意を払つてきたところであるが、尿量減少がわかつて以後の一六日一三時五分、輸液速度を一時間二五ミリリットルに落とした。

ニ  また一六日には血糖値が一二六とやや上昇していることがわかり、これがわかつてからは、輸液組成を糖分の少ないものに変更するとともにたんぱく質の投与を中止した。

ホ  そして、右尿量減少、尿比重低下、血糖値上昇、尿中白血球無数等の状況のもとに腎機能、肝機能の低下を憂慮し、翌一七日そのチェックを行うこととした。

(3) 一六日夜以後

イ  一六日夜、美樹の容態がそれまでにも増して悪化したため、担当看護婦が鎌田医師に連絡、報告をしながら観察していたが、午前二時の血糖値が二四〇と異常を示したことから直ちに鎌田医師がかけつけて診察し、輸液をさらに糖分の少ないハルトマン液に変更、また依然として輸液量に比して尿量が少ないため利尿剤ラシックスを投与するなどして対応するとともに、新鮮凍結血漿を輸血すべく手配(日赤血液センターからの取り寄せ)した。

右一六日夜から一七日早朝にかけての美樹の浅眠、胸苦、閉眼、嘔吐不十分の状態は、その時点では異常な高血糖によるものと思われた。右輸液変更等の措置により、血糖値は一七日午前九時には八四ミリグラムまで下げることができた。

ロ  また、鎌田医師は、腎機能の検査結果を待つまでにその低下を心配し、前記のとおり一七日午前九時に利尿剤ラシックス(急性腎不全の場合、輸血、輸液、利尿薬による適切な治療があれば腎性に移行しないうちに回復することもある。)を静注し、輸血のための新鮮凍結血漿を手配し、一七日一二時三〇分からと、同日一時からの二回輸血した。

ハ  ところが、一七日午前中採血した血液検査の結果が驚くべきことにカリウム値が六・二と高値を示したため血液ガス検査を施行、その結果は完全な代謝性アシドーシス(酸性血症)となつており、またBUNも一一一・八と高値を示し、急性腎不全と診断、内科、泌尿器科とも協議し、腹膜潅流を施行したが、その効なく翌一八日死亡するに至つた。

4 治療上の過失の不存在

(一) TRHの投与について

(1) 一〇月五日に行つたTRH負荷テストにおいてPRL(プロラクラン)HGH(ヒト成長ホルモン)が異常値を示したため、鎌田医師は、徳島大学医学部の先輩医師の意見を聞き、ホルモン分泌促進による自律神経異常の正常化を期待して、一〇月七日からTRHの投与を開始した。

(2) 原告らはこのTRHは試験薬であつて投与すべきものではなく、逆に嘔吐を誘発したと主張する。しかしながら、美樹の嘔吐は症状として入院前からあり、それが主症状の一つなのであつてその原因はまさにAANにある。また、数十回に及ぶ嘔吐のうちでTRHがそれを誘発させたのはわずか五回ほどにすぎない。

(3) 美樹のAAN症状は極めて多彩なものがあり、しかもその症状はいずれも頑固で個々の対症療法の効果は殆どあらわれない。何とかして諸症状を改善の方向にもつていきたいとの願いが担当医師にあるのは当然である。美樹の場合、自律神経異常がその根源であることはわかつているから、これを少しでも是正する途はないものかと、TRH投与を考えたものである。

薬品には多かれ少なかれ副作用を伴うが、これらを考慮しながらその治療効果、必要性との衡量において投薬せざるを得ないものであり、その判断には自ずと医師の裁量の幅がある。

結果的にその投薬の効果があらわれず、副作用のみが残つた場合であつても、それをもつて医師の過失と断ずることはできない。

(4) TRH投与が誘発した嘔吐と腎不全とはもちろん因果関係はない。

(二) 腎障害性薬物の投与について

(1) ハイカリックについて

ハイカリック液は栄養補給液であり、当時の美樹にとつて最も重要と思われた栄養状態の悪化防止とその回復のために必須と考えられたものである。

急性腎不全の診断に至つていない時点での投与に過失はない。

(2) プロテアミンについて

プロテアミンはアミノ酸輸液であり、右同様に当時の美樹の全身状態保持、改善のために必要であつた。

急性腎不全の診断に至つていない時点での投与に過失はない。

(3) セファメジンの投与について

セファメジンは抗生物質であるが、一一月一五日、一六日無数の尿中白血球が認められて何らかの感染が疑われた当時、その対症療法としては他に考えられない。

四 被告の主張に対する認否

いずれも争う。

第三  証拠《略》

【理 由】

一  請求原因1(当事者)、同2(経過概要)の(一)、(二)及び(三)の(1)ないし(6)は当事者間に争いがない。

二  診断上の過失の有無について

原告らは、被告病院の勤務医師である鎌田医師には、美樹の腎機能に関する注意を怠り、腎不全の診断に必要な諸検査を実施しなかつたためその診断が遅れた過失がある旨を主張するので、この点につき順次検討する。

1  請求原因3(一)の(1)及び(2)は当事者間に争いがなく、これと前記一項の当事者間に争いのない事実及び証拠を総合すると、次の事実が認められる。

(一) 美樹のAAN罹患

被告は、美樹がアキュート・オートノミック・ニューロパチー(AAN)に罹患していたと主張するので検討する。

(1) AANとその症状

AANは、自律神経の異常による自律神経症状を主症状とする。今日なお病因未確定で、治療方法も不明である。

美樹死亡後の文献(平成元年四月発行)になるが、過去のAAN五一症例を検討した文献によると、その症状は次のとおりである。

イ 前駆症状及び初発症状としては、発熱、鼻閉、鼻汁、咳嗽、咽頭痛、倦怠感、関節痛などの感冒症状を前駆とすることが多く、初発症状は腹痛、下痢、嘔吐、視力障害など様々である。

ロ 主として自律神経症候を示すが、起立性低血圧(五一例中四一例)、排尿障害(四三例)が代表的症候である。嘔吐(二五例)、下痢(二三例)、便秘(二七例)などの消化器症状もある。発汗障害(四二例)があり、皮膚は乾燥し、ガサガサして感染を起こしやすい。瞳孔障害(四二例)として散瞳かつ対光・調節反射の消失をきたすことが多い。分泌障害として涙液分泌減少(二六例)のため眼の乾燥感を訴えるものがあり、唾液分泌障害(二七例)、口内乾燥感を訴えるものが多い。多くの例で体重の著減が記載されており、嘔吐、下痢、食欲不振なども関与していると思われるが、自律神経の関与も考えられる。

ハ 自律神経症状以外に、頻拍や感覚及び運動障害を示すものがあり、深部反射の低下消失の例もあり、また精神症状として不眠、嗜眠、忍耐力の低下、感情不安定などに陥る例もある。

ニ 経過・予後は、本件以前の昭和五六年発行の文献によると、病状最盛期を過ぎた後は回復傾向に向かい二年以内には寛解をみる例が多い等と報告されていたが、そのようなほぼ完全寛解する例はむしろ少なく、後遺症を残しているものが多い。死亡例もある。

(2) 美樹の諸症状とAAN

(入院前外来時の症状)

九月七日の症状は、発熱、頭痛、咳嗽、咽頭痛、のどの軽度発赤であり、咽頭炎と診断される。これらは前記AANの前駆症状に合致する。

九月一一日の症状は、緑色嘔吐、食欲減退、腹痛、便秘、舌苔、咽頭発赤、腹部軽度膨張、白血球二〇〇〇であり、ウイルス性腸炎と診断される。これらは前記AANの前駆症状及び初発症状と一致する。また、ウイルス性腸炎の諸症状は現在AANの原因として考えられるに至つているウイルス感染説の立場に符合する。

(入院時の症状)

主なものに、嘔吐、腹痛、下痢(水様便)、頻脈、顔面軽度苦悶状、脱水、腹部膨隆等があり、これらは、AANの自律神経異常を思わせる症状を含んでいる。

(入院初期、九月下旬までの症状)

主なものは、下痢、食欲不振、腹部膨隆、排尿困難、腸蠕動音低下、嗜眠傾向、嘔吐、口唇及び舌脱水(乾燥)、瞳孔散大、対光反射欠如、口腔粘膜乾燥、膝蓋腱反射低下、唾液分泌低下、発汗なし、倦怠感、腹痛、皮膚乾燥等である。

右は前記AANの症状がほぼ出そろつており、諸検査の結果他の病変がないことも確認されている。

鎌田医師は、九月末、美樹の右諸症状を診察したうえ、各種検査の結果を検討して他の病変の疑いのないことを確かめ、アドレナリンテスト等自律神経に関するテストをして、美樹につきAANと診断している。

(その後の症状)

その後の症状、とくに一一月に入つてからの症状は後記のとおりであり、その諸症状はほぼ前記AANの各種症状に合致している。

(美樹のAAN罹患)

以上によれば、美樹はAANに罹患したものと認定しうる。美樹の前記諸症状、さらには栄養状態、全身状態の悪化はAANによるものと考えられ、これを原告らが指摘するように脱水のみによつて生じたものとみることは到底できない。

(3) AANの診断

鎌田医師は、九月末、美樹の諸症状を診察したうえ、各種検査の結果を検討して他の病変の疑いのないことを確かめ、アドレナリンテスト等自律神経に関するテストをして、美樹の諸症状が当時の文献上のAANの症状に合致することから、AANと診断した。

同病は病因不明で、自律神経の異常そのものを是正する方法がない。AANと診断した鎌田医師も、AANの個々の症状に対する対症療法を施しながら、病状の回復をまつほかなかつた。

(二) 美樹の急性腎不全

美樹は、昭和五七年一一月一八日急性腎不全により死亡した。

(1) (経過)

美樹は、一一月一五日の尿量が急減して乏尿となり、尿比重も低下した。一六日の尿量、尿比重も同様であり、同日の夜には全身の痛みを強く訴え、浅眠状態となつた。翌一七日午前には顔面浮腫が現れ、呼びかけにも応答しなくなつた。

鎌田医師が美樹を急性腎不全と診断したのは、一七日のBUN(血液尿素窒素)の検査結果が一一一・八という高値を示し、血液ガス検査(酸塩基平衡検査)の結果もPH値七・〇九七という完全な代謝性アシドーシス(PH値七・三六以下の酸性血症)が明らかとなつた同日午後四時過ぎであつた。しかし、PH値七・〇九七という数値は、当時の美樹の栄養状態、体力から考えて、もはや救命不可能な状況であつた。

一七日午後六時から集中管理室で腹膜潅流による透析を受け、翌一八日午前一一時四五分まで継続して二四回にわたり潅流液の注液、貯液、排液が繰り返されたが病態は改善されず、同日一二時五三分死亡するに至つた。

(2) 美樹の急性腎不全は、後記の発症超序により生じたことが推測され、腎前性腎不全(全身的な循環不全の結果、腎臓の糸球体濾過が著しく低下しておこるもの)であつた。

(3) (発症起序)

美樹は、入院当初からAANによる口唇乾燥・皮膚乾燥といつた脱水症状を呈し、また嘔吐、下痢が続いて栄養状態も悪化していつたが、一一月に入つて後記のとおり頻回の嘔吐・下痢が出現したため、<1>嘔吐、下痢により体液の減少をきたして腎臓に負担がかかつたことにより、また、<2>嘔吐、下痢により電解質異常、酸塩基平衡失調(代謝性アシドーシス)をきたして腎臓に負担がかかつたことにより、腎前性腎不全に陥つたものと推測される。

(三) 急性腎不全の診断

急性腎不全の診断は、病歴、原疾患に留意して、尿量や尿比重及び血液尿素窒素(BUN)、クレアチニン値などに注意することが必要である。

急性腎不全の臨床症状は次のとおりである(乙第四一号証の二)。

(1) 尿量及び尿所見

発症すると通常四〇〇(ミリリットル/日)以下の乏尿(大人の場合の標準値)となる。発症して一日以内に尿量の著明な減少がくることが多い。

尿所見としては、たんぱく尿、血尿、円桂尿が早期から現れる。尿比重あるいは尿浸透圧は最も大切な所見である。

(2) 水分、電解質の異常

イ(ナトリウムと水の蓄積)

尿量減少により水とナトリウムの蓄積を生じ、とくに浮腫が著しい。このため肺水腫や鬱血性心不全をきたすことも多い。高度の体液貯留のため希釈性の低ナトリウム血症をみることが多く、脱力倦怠感、無表情などのほか、意識障害や痙攣、呼吸停止など水中毒症状を呈することさえある。

ロ(高カリウム血症)

腎からのカリウム排泄が障害されるため高カリウム血症を生ずる。臨床症状として筋力の低下が最初に出現する。ほかに知覚異常や四肢の冷感を伴うことも多い。短時間のうちに徐脈、不整脈が出現する。

ハ(アシドーシス)

たんぱく代謝産物であるリン酸やアンモニアの排泄低下によりアシドーシス(酸性血症)が生じる。

(3) 高窒素血症

急性腎不全の場合、一日のBUN上昇率は通常五〇ないし一〇〇(ミリグラム/デシリットル)である。急激な高窒素血症の進展は意識障害や痙攣など精神神経症状を生じやすい。

(4) 循環器症状

体液過剰、高血圧、鬱血性心不全、不整脈など循環器症状は多彩である。とりわけ水とナトリウムの蓄積による〔体液過剰→鬱血性腎不全→肺水腫〕は、急性腎不全初期の最も重要な症状である。

(5) 消化器症状

食欲不振、悪心、嘔吐は早期から出現し、特異な口臭(尿毒症臭)に気づくことが多い。唾液腺分泌の減少による口内乾燥、口腔粘膜の糜爛、潰瘍形成、口内炎、歯根出血、耳下腺炎など口腔内症状も必発である。

(6) 精神神経症状

傾眠、錯乱、昏迷、昏睡など種々の程度の意識障害のほか、深部反射の異常、痙攣などが起こりやすい。脳波は徐波傾向となる。

(7) 貧血及び出血傾向

発症後数日すると貧血が著明となる。出血傾向も多く、歯根出血、性器出血(女性)、皮下出血や消化管出血などが多い。

(四) 診断の基礎となる事情

(1) 美樹は、入院当初から口唇乾燥・皮膚乾燥といつた脱水症状を示し、また嘔吐、下痢が続いて栄養状態も悪化し短期間に著しく体重が減少した(九月一二日の入院時二四・五キログラムあつた美樹の体重は一〇月二一日には二〇キログラムに減少した)。そこで、嘔吐のため食物の経口摂取が困難であつたこともあり、一〇月二一日からIVH(中心静脈栄養)による高カロリー輸液が施行された。

高カロリー輸液は、酸塩基平衡失調(代謝性アシドーシス)、電解質異常など代謝に起因する合併症をきたすおそれもあり、したがつて、慎重な栄養管理が必要とされる。また、IVHによりプロテアミン(アミノ酸輸液)が投与されているが、プロテアミンは、副作用としてその大量・急速投与によりアシドーシス、腎障害の現れるおそれもあり、腎障害のある患者には慎重投与の必要もあるものである。

したがつて、かかるIVHの施行下にある美樹の腎機能に関しては、十分な注意監視をしなければならない状況であつた。

(2) 一〇月末ころからの美樹の嘔吐の回数及び量は次のとおりである。

一〇月二八日 二回 三六〇グラム+

同月二九日 〇回

同月三〇日 一回

同月三一日 二回 三八六グラム

一一月一日 一回 一五〇グラム

同月二日 四回 二七二グラム

同月三日 〇回

同月四日 二回

同月五日 三回

同月六日 六回 三二八グラム

同月七日 八回 一一九グラム+

同月八日 七回 八四グラム+

同月九日 五回 一三二グラム+

同月一〇日 七回 一八一グラム

同月一一日 四回 八九グラム

同月一二日 〇回

同月一三日 三回 一九六グラム

同月一四日 一回 一〇五グラム

同月一五日 〇回

同月一六日 〇回

同月一七日 〇回

美樹は、かかる頻回の嘔吐によつて、多量の水分、電解質を喪失していることがうかがわれ、頻回の嘔吐が続いた一一月一〇日ころ当時は、水分喪失、電解質喪失により、腎前性腎不全になるおそれが十分にある状態にあつた。

(3) 電解質異常

一一月一〇日血清電解質検査の結果は次のとおりであり、ナトリウム値一一五という電解質異常(低ナトリウム血症)を示した。

ナトリウム 一一五 (低値)

カリウム 三・九 (正常値)

クロール 七八 (低値)

これはおそらくは前記一一月に入つてからの頻回の嘔吐が直接の原因であつたものと推測される。

また、同日のBUN検査の値は二〇・七という正常値のほぼ上限を示した。

(4) その後電解質異常に対しては、担当医師らにより、IVHの輸液組成の調整により補正措置がとられたが、これによる各値の経過変遷は次のとおりである。

(一一月一〇日二二時採血分)

ナトリウム 一二二(低値)

カリウム 三・五

クロール 八二(低値)

(一一月一一日一五時採血分)

ナトリウム 一三三

カリウム 二・九(低値)

クロール 八九

(一一月一三日)

ナトリウム 一三三

カリウム 四・一

クロール 八八

(一一月一五日)

ナトリウム 一四一

カリウム 三・一(低値)

クロール 九八

(一一月一六日)

ナトリウム 一四二

カリウム 四・五

クロール 九九

(一一月一七日)

ナトリウム 一三〇

カリウム 六・三(高値)

クロール 八八

(5) 尿量及び尿比重

一一月一五日の尿量は、前日一〇二〇CCあつたのに二九五CCに急減し(一六日午前六時集計)、乏尿といつてよい状態であつた。同日の尿比重は一〇一三値であつた。

翌一一月一六日の尿量は二一一CCであり(一七日午前六時集計)、同日の尿比重は一〇一三値であつた。

(6) 臨床症状の推移

入院直後から、口唇乾燥、皮膚乾燥等脱水症状があり、また嘔吐、下痢が続いて栄養状態が悪化していたが、看護記録及びカルテの記載によると一一月に入つてからも次のとおりの状況であり、AANによる諸症状が一層進行重症化し、るいそう(羸痩)著明、栄養状態も悪化していることが認められる。

(一一月一日)

口唇乾燥、皮膚かさかさ、大声で苦悶訴え嘔吐、無表情〔看護日誌〕。

瞳孔散瞳、対光反射なし〔カルテ〕。

(同月二日)

嘔気嘔吐、気分不良、頭痛、大声で啼泣し苦悶感訴える、口唇乾燥・発赤〔看護日誌〕。

散瞳。夜TRH注入後二回嘔吐〔カルテ〕。

(同月三日)

嘔気持続、気分不良、口唇乾燥、口角切れ、皮膚乾燥、るいそう(羸痩)著明〔看護日誌〕。

嘔気あるも嘔吐なし、舌白苔、散瞳著明〔カルテ〕。

(同月四日)

口を拭いた直後嘔吐、大声で啼泣、嘔気持続、気分不良、排尿時嘔吐〔看護日誌〕。

一口水を口に入れただけで吐きそうになる、流涙なし、発汗なし、対光反射なし〔カルテ〕。

(同月五日)

無表情、嘔気嘔吐〔看護日誌〕。

口をうがいするよう指導しただけで肩で息をする、散瞳持続、対光反射なし〔カルテ〕。

(同月六日)

嘔気持続、含漱中嘔吐、TRH注入直後に嘔吐(計五回)、嘔気持続するもうとうとしだす、口角切れ、皮膚乾燥〔看護日誌〕。

嘔気持続〔カルテ〕。

(同月七日)

口角炎・出血、嘔気持続、気分不良、皮膚乾燥、るいそう(羸痩)著明、排尿時大声で叫び嘔吐、浅眠状態、閉眼状態、口唇亀裂乾燥、大声で叫び嘔吐、肩で息をしている〔看護日誌〕。

貧血〔カルテ〕。

(同月八日)

排尿時大声を出し嘔吐、口唇乾燥、口唇ただれ・出血、TRHを二分の一静注後嘔気出現し嘔吐、大声を発し嘔吐、時々深呼吸、嘔気持続〔看護日誌〕。

散瞳続く〔カルテ〕。

(同月九日)

注射施行後嘔吐、声を出して嘔吐、口唇乾燥・ただれ〔看護日誌〕。

流涙なし、発汗なし、口腔内乾燥〔カルテ〕。

(同月一〇日)

声を発し嘔吐、無表情、大きな肩呼吸を繰り返す、嘔気〔看護日誌〕。

(同月一一日)

TRHを二分の一程度管注時に嘔吐出現、大声を出し嘔吐、口唇乾燥・亀裂・出血、

深夜、浅眠中も体に触れると開眼し「そこに誰か立つている」と言う、「お母さん、あぶない、聞こえんの」と急に眼をあける〔看護日誌〕。

(同月一二日)

口唇切れ・血触着、体を動かしても呼吸が荒くなる〔看護日誌〕。

昨夜、輸液注入速度が速すぎ利尿過多となり患児が不穏幻覚をきたす〔カルテ〕。

(同月一三日)

肩で大きな息をしている、大声で叫び嘔吐〔看護日誌〕。

顔貌倦怠・苦悶状(昨日より良い)〔カルテ〕。

(同月一四日)

大声で不快を訴える、口唇乾燥、口角亀裂、茶をスプーン一匙飲み直後嘔吐、大きい深呼吸をする、胸苦〔看護日誌〕。

口唇・舌乾燥、皮膚乾燥〔カルテ〕。

(同月一五日)

胸内苦悶あり、時々深呼吸、口臭、口唇あれ、るいそう(羸痩)著明、皮膚乾燥〔看護日誌〕。

散瞳、対光反射なし〔カルテ〕。

(同月一六日)

皮膚乾燥、口唇乾燥、時々深呼吸。

午後五時ころ、閉眼、呼吸規則的なるも時々大きな呼吸をする。午後六時ころ、肩で大きな呼吸をする、ぐつたりしている。午後七時ころ、うとうと浅眠。午後九時ころ、体を動かすと痛み、背をさすることもできない〔看護日誌〕。

(7) そして、一一月一七日の美樹の臨床症状は次のとおりである。

(一一月一七日午前二時ころ)

胸苦訴え、ふるえるような動きあり、閉眼し浅眠状態。

(同日午前四時ころ)

閉眼し呼吸荒い、何度も呼びかけ胸苦を問うと首をふる。

(同日午前六時ころ)

閉眼し呼吸荒い、何度も呼びかけると返答する。

(同日午前七時ころ)

胸苦訴える、呼吸荒い。

(同日午前八時ころ)

胸苦持続、同じような呼吸。

(同日午前九時ころ)

鼻翼時々動かし呼吸連拍、呼んでも応答なし、口腔内唾液貯留あり、顔面浮腫、下痢便失禁。

(同日午前一〇時ころ)

注射時痛いと言うも体動なく開眼しない、呼んでも応答なし、顔面浮腫。

(同日午前一〇時三〇分ころ)

胸苦を聞くと首をふる、口唇色不良。

(同日午前一一時三〇分ころ)

呼吸荒く速拍、体動なし。

(同日午後〇時三〇分ころ)

傾眠状態持続

(同日午後一時ころ)

眼球運動あるも閉眼せず、体動なし。

(8) 一一月一五日以降尿中白血球数が増大、無数となり、何らかの感染が疑われ、抗生物質セファメジンが投与されたが、セファメジンは副作用として腎障害の現れるおそれのあるものである。したがつて、投与後は腎機能に関する注意監視を十分にすべきであつた。

2  診断上の過失

(一) 注意義務

(1) 前記認定のとおり、美樹にはIVHを施行しており、代謝に起因する合併症(電解質異常、代謝性アシドーシス)をきたすおそれもあることから、慎重な栄養管理と合併症に対して常に注意しなければならない状況下にあつたこと、一一月に入り嘔吐が頻回になり、これにより多量の水分、電解質が喪失するおそれの生じたこと、入院以来の口唇乾燥、皮膚乾燥等の慢性的な脱水症状がなお継続していること、そして一一月一〇日には電解質異常が現れ、その直接の原因が右頻回の嘔吐によるものと推測されること、電解質異常に対しては補正措置がとられたが、直ちには復調せず正常値の範囲外での変遷を示したこと、その他前記認定の事情に照らせば、美樹の腎機能障害ないし急性腎不全が十分に予想されたところである。したがつて、電解質異常を示した一一月一〇日過ぎ以降の早い時期に、美樹の腎前性腎不全罹患のおそれを予見して、その診断に必要な諸検査(腎機能検査)を実施すべきであつたものというべきである。すなわち、<1>BUN検査、<2>クレアチニン検査、さらに患者の状態を考慮しながらであるが、<3>血液ガス検査をも実施すべきであつた。

また、一一月一五日の美樹の尿量は急性腎不全を疑わせる乏尿であつたことから、前記認定の諸事情の下では、これが明らかとなつた時点で直ちに同様の腎機能検査を実施すべきであつたものというべきである。

(2) 被告は、AANの臨床諸症状と急性腎不全の症状とが共通することが多く、AANに罹患した美樹について急性腎不全の早期診断が困難であることを指摘する。しかしながら、美樹については、前記のとおり腎機能障害ないし腎前性腎不全に至るおそれがあり、このことは美樹のAAN罹患の有無にかかわらず、美樹の主治医たる医師において十分に予見認識しなければならないことである。AANの症状と急性腎不全の症状とが一部共通していることは認められるが、これをもつて、腎機能ないし急性腎不全罹患に対する注意義務を軽減させるものではない。むしろ、AANの諸症状との識別が困難であるのに応じて、AANに罹患していた美樹に対しては、その腎障害をみのがすことのないよう一層慎重な注意を払うべきことが要求されるものといわねばならない。それに、BUN、クレアチニンの検査自体は困難なものではないし、急性腎不全の診断も尿量、尿比重のほか、右のBUN、クレアチニン値などに注意すれば比較的容易なものであるから、右検査をすべきことを医師に要求しても何ら不可能を強いるものではない。

ただ、美樹の急性腎不全の場合、その発症が強く疑われる乏尿の出現が一一月一五日であり、二日後の一七日にはもはや救命不能な代謝性アシドーシス(酸性血症)に陥つている。このような急性腎不全の急激な進行は、原疾患であるAANの諸症状の重症化、あるいはこれによる栄養状態の悪化、体力の低下等による影響を考えざるを得ない。しかしながら、AANの諸症状が改善されることなく進行していたことは前記のとおりであり、このような美樹にいつたん腎障害が発症すればそれが容易に重篤な状態へと至るおそれのあることは、担当医師において十分に認識可能なことである。したがつて、そのような状況にある美樹であればこそ、一層慎重に腎機能に関する注意を怠らないようにすべきであり、原疾患の重症化に応じて一層慎重な注意義務が医師に課せられるものというべきである。

なお、被告は、仮に前記諸検査をしたとしても、その段階で異常値を検出できたかどうか、検出できたとして腹膜潅流による透析が効を奏したか疑問であるというが、一一月一〇日過ぎ以降の時期に検査をして腎障害を発見し、美樹を救命することが完全に不可能であつたとまでは認められず、救命の可能性がなお残る以上、医師としては検査を実施し、その義務を尽くすべきものといわねばならない。

(二) 注意義務違反の有無

そこで、右注意義務の違反の有無を検討する。

(1) 《証拠略》によると、一一月一〇日過ぎ以降、鎌田医師ほか担当医師らのとつた措置は次のとおりである。

イ 一一月一〇日の電解質異常に対しては、その後鎌田医師ほか担当医師らが電解質検査をして確認をしながらIVHの輸液組成を調整して補正措置をとつた。一〇日は鎌田医師が担当し、一一日から一三日までは小児科部長田中弘医師が担当した。一四日は休日の当直医師が担当し、一五日からは鎌田医師が復帰担当した。鎌田医師は、一五日朝採血の検査結果が、ナトリウム値一四一、カリウム値三・一、クロール値九八と、ナトリウムとクロールは正常に復していたがカリウムが低下していたので、輸液組成の調整をし、その結果一六日に電解質は一応の復調をみた。この間、前記BUN、クレアチニン値等の検査はとくに行われていない。

ロ 一五日の尿量が二九五CCに減少し(一六日午前六時集計)、その減少にもかかわらず一五日の尿比重が一〇一三と低下し、尿が濃縮されていないことを示した。排尿困難による減少ではないことから、鎌田医師は、腎機能の低下を心配し、一六日胸部レントゲン写真を施行したが、肺水腫、心不全の徴候はなく、腎不全初期の臨床症状はないものと判断した。

ハ しかし、同一六日の尿量も減少(二一一CC)しているのに尿比重が一〇一三であることから、やはり腎機能の低下が疑われた。

また一五日から尿中白血球が無数で、何らかの感染が疑われたことから、抗生物質セファメジンを投与した。また、高血糖状態、代謝機能の低下を心配し、輸液速度を代謝速度に合わせるため輸液速度を調整した。血糖値の上昇が明らかとなり輸液組成を調整し、糖分の少ないものに変更するとともにたんぱく質の投与を中止した。

ニ 鎌田医師は、一六日の美樹の尿量減少、尿比重低下、血糖値上昇、尿中白血球無数等に直面し、美樹の腎機能、肝機能の低下を疑い、翌一七日そのチェックを行うこととした。

ホ ところが、一六日夜、美樹の全身状態が悪化し、同日二一時には体を動かすと痛み、母親が背をさすることもできず、翌一七日午前二時を過ぎたころには胸苦を訴えてふるえるような動きが出る等の状態となつた。血糖値が二四〇と異常を示したことから、鎌田医師がかけつけて美樹を診察したが、鎌田医師は、美樹の右浅眠、胸苦、閉眼、嘔吐不十分の状態は、異常な高血糖によるのものと考え、輸液を糖分の少ないものに変更するとともに、依然として尿量が輸液量に比して少ないとして利尿剤ラシックスを投与するなどした。

ヘ 翌一七日午前中採血した血液の検査結果がカリウム値が六・二と高値(高カリウム血症の電解質異常)を示したため、ようやく血液ガス検査を施行し、その結果はPH値七・〇九八という完全な代謝性アシドーシス(酸性血症)であり、またBUN値も一一一・八と高値を示した。しかし、前記のとおりPH値七・〇九八という数値は、当時の美樹の栄養状態、体力から考えて、もはや救命不可能な状況であつた。鎌田医師は、右諸検査の結果により一七日午後四時過ぎころ急性腎不全と診断した。

(2) 右のとおり、鎌田医師は、一一月一一日以降は、一六日までBUN、クレアチニン値の検査を実施しておらず、血液ガス検査も実施していない。これらの検査がようやく実施されたのは、一七日のすでに美樹が救命不能の状態にあつた時点である。とくに一一月一五日の美樹の尿量は急性腎不全を疑わせる乏尿に近く、これが明らかとなつた一六日午前中には、右検査を実施すべきことが強く要請されるにもかかわらずこれをしていない。なるほど同日に鎌田医師は尿量減少による肺水腫、心不全を心配して胸部レントゲン写真を施行し、電解質の補正措置をとつてその復調を確認している。しかしながら、それにもかかわらず同日の尿量はなお減少傾向にあり、同医師自身も腎機能検査の必要を感じて翌一七日検査することを決めている。おそらくは鎌田医師は、本件当時の文献上、AANによる死亡例が報告されていないことから、病状最盛期を過ぎればいずれ回復に向かうものとみて、美樹の腎機能に対する注意も健常人の場合と同様に考えていたのではないかとも思われるが、それまでの美樹の臨床症状の経過に照らせば、前記のとおり美樹の腎機能に関し必要とされる医師の注意はより慎重なものでなくてはならず、遅くとも同日中には腎機能に関する検査を実施すべきであつたというべきであり、鎌田医師にはこれを怠つた過失があるものといわざるを得ない。

(3) したがつて、鎌田医師には、前記注意義務を怠つて診断に必要な検査を実施しなかつた過失が認められる。

三  治療上の過失の有無について

原告らは、さらに鎌田医師には、美樹の腎機能に関する注意を怠り、腎不全に至るおそれのある薬物を継続投与した過失、及び腎障害性薬物を投与した過失がある旨を主張するので、この点について検討する。

1  治療上の注意義務

前記認定のとおり、美樹にはIVHを施行しており、代謝に起因する合併症(電解質異常、代謝性アシドーシス)をきたさないよう常に注意しなければならない状況下にあつたこと、とくに一一月に入り嘔吐が頻回となり、これにより多量の水分、電解質が喪失するおそれが生じたこと、現実に一一月一〇日には電解質異常が現れ、その直接の原因が右頻回の嘔吐によるものと推測されること、その他前記認定の事情に照らせば、美樹の腎機能障害ないし急性腎不全が十分に予想されることは前説示のとおりである。

そうすると、鎌田医師としては、美樹の腎前性腎不全の罹患を予見・警戒すべきであり、したがつて、美樹の症状に対する対症療法を施すにあたつても、腎不全へと至るおそれのある諸症状を悪化・増悪させてはならず、また、腎機能障害を増悪させるおそれのある薬物投与は慎重にする義務があつたものというべきである。

そこで、鎌田医師の治療につき、右注意義務の違反がないかどうかを検討する。

2  TRHの投与について

原告らは、鎌田医師が継続投与したTRH(TSH・プロラクチン分泌ホルモン剤)は、副作用として嘔吐症状があり、美樹の嘔吐症状を増悪させた過失があると主張する。

《証拠略》によれば次のとおり事実が認められる。

鎌田医師は、TRHのホルモン分泌促進による自律神経異常の正常化を期待して、一〇月七日からTRHを継続投与した。途中、投与があると嘔吐するので投与を中止してほしいとの原告らの希望を受け、宇山医師が一一月三日、四日投与を中止したが、鎌田医師は同月五日から再び投与を続け、同月一二日田中医師の指示で投与が中止されるまで、TRHの投与は継続された。しかし、一か月以上にわたる投与によつても、鎌田医師の期待した効果は現れなかつた。かえつて投与により副作用である嘔吐が出現し、看護記録だけによつても、一一月六日午後四時三〇分、同月九日午前一〇時、同月一一日午前一一時にTRH管注時ないしその直後に嘔吐したことが認められる。しかしながら、美樹の嘔吐は入院時から続いており、TRHが投与されなくとも嘔吐しており、これはAANの症状の一であり、TRH投与直後にみられる嘔吐が副作用によるものとしても、美樹の嘔吐症状全体を悪化増悪させたものとは認定しがたい。

そうすると、本件TRHの投与をもつて腎不全へと至るおそれを生じさせたものということはできないので、この点につき、鎌田医師の過失の有無について判断するまでもなく、原告らの主張は理由がない。

2  腎障害性薬物の投与について

原告らは腎障害性薬物でもあるハイカリック、プロテアミン、セファメジンを投与したのは美樹の腎機能に注意しない過失があると主張する。

(1) ハイカリックについて

ハイカリック液は栄養補給液であるが、重篤な腎障害のある患者には禁忌であり、腎疾患に基づく腎不全のある患者には慎重投与の必要がある。また副作用として大量急速投与により脳浮腫、肺水腫、高カリウム血症、末梢の浮腫、アシドーシス、水中毒の現れることがある。

鎌田医師は、一一月一二日までの間、三日(一一月六日、九日、一〇日)を除いて約七〇〇CCのハイカリック液をIVHにより投与を指示した。ハイカリック液は栄養補給液であり、美樹の栄養状態の悪化防止とその回復のために必須と考えられたものである。

原告らは、その投与につき美樹の腎機能に注意しない過失があるというが、一一月一二日までの美樹の臨床状況(一〇日に電解質異常の出現があるのみ)に照らすと、当時その投与が美樹の腎機能にとくに影響を及ぼしたとは考えられない。一一月一一日夜ハイカリック液(輸液A液)注入速度が早くなり過ぎ、そのため美樹が不穏幻覚をきたす事態となつたが、このことが美樹の腎機能に結果的にどのような影響を与えたかは不明である。そうすると、その投与に過失を認めることはできない。

(2) プロテアミンについて

プロテアミン12はアミノ酸輸液であるが、重篤な腎障害又は高窒素血症のある患者には禁忌であり、高度のアシドーシスのある患者、腎障害のある患者には慎重に投与すべきものである。また、副作用として大量急速投与によりアシドーシスが現れることがあり、まれに腎障害、肝障害が現れることがある。

鎌田医師は、一一月一四日までの間、三日間(一一月六日、一〇日、一三日)を除いて約四〇〇CCのプロテアミンを投与し続けた。プロテアミンはアミノ酸輸液であり、当時の美樹の全身状態保持、改善のために必要であつたものである。

原告らは、その投与につき美樹の腎機能に注意しない過失があるというが、とくに問題となる一一月一一日、一二日、一四日の投与に限つてみてもその投与が美樹の腎機能にとくに影響を及ぼしたとは考えられない。輸液の必要性にかんがみれば、慎重な管理観察は必要であるとしても、その投与自体に過失を認めることはできない。

(3) セファメジンの投与について

セファメジンは抗生物質であるが、腎臓に対し副作用があり、BUN上昇、クレアチニン上昇、乏尿等の腎障害が現れることがあるので、その使用に際しては、尿観察を十分に行い、乏尿等の尿異常所見、BUN上昇、クレアチニン上昇等の腎障害が認められた場合は投与を中止する等適切な処置を行わねばならない。

鎌田医師は、一一月一五日以降無数の尿中白血球があり感染が考えられたことから、抗生物質セファメジンを投与したが、一五日の尿量は急性腎不全が疑われる乏尿に近く、これが明らかとなつて以降も腎障害薬であるセファメジンを投与していることが過失である旨原告らは主張する。

前記二項において認定のとおり、右原告ら主張の事実は認められるところ、尿中白血球数が無数で感染が疑われた当時、これに対し抗生物質による対症療法を施す必要はあつたのであり、腎障害を避けるための他の抗生物質の投与、あるいは別異の療法が可能であつたとの主張、立証もないので、セファメジン投与により慎重な管理観察は必要であるとしても、その投与自体に過失を認めることは相当ではないというべきである。

四  被告の責任

前認定のとおり鎌田医師には急性腎不全の診断に必要な検査を実施せず腎機能に関する注意を尽くさなかつた過失が存在する。また、同医師がその注意義務を尽くして前記検査を実施していれば美樹の腎障害を発見し救命できた可能性も認められる。被告は原告ら主張どおりの検査を実施しても救命できたか疑問であるというが、完全に救命できないとまでいいきることはできず、救命できた可能性が残る以上、鎌田医師の過失と美樹の急性腎不全による死の結果との間には相当因果関係があるというべきである。

そして、被告が被告病院を経営し、鎌田医師が被告病院の小児科医師として被告に雇傭されていたことは当事者間に争いがない。鎌田医師が被告の医療業務の履行として美樹の診断診療にあたつたことも認められる。

以上から、被告には、鎌田医師の前記過失により生じた損害を原告らに対し賠償する責任がある。

五  損害

(一)  美樹の損害

死亡した美樹の損害は次のとおり認められ、原告らは、この賠償請求権をそれぞれ二分の一宛相続した。

(1) 逸失利益 一八七〇万八七一〇円

美樹は昭和四七年八月一六日生まれの女児で本件死亡当時一〇才であつたことは当事者間に争いがないところ、逸失利益は、昭和五七年度賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計一八才の平均賃金にホフマン係数二〇・〇〇六を乗じ、生活費割合を〇・三五として算出するのを相当とする。

(計算式)

{(109,300)×12)+127,100}×20.006×(0.65)

(2) 慰謝料 一二〇〇万円

急性腎不全により死亡するまでの経緯等に照らし、本件死亡に対する慰謝料額は一二〇〇万円が相当である。

(二)  葬儀費用 五四万二五〇〇円

原告港次郎が美樹の葬祭費として五四万二五〇〇円を出費したことが弁論の全趣旨により認められ、右金額は本件事故と相当因果関係にある損害と認定しうる。

(三)  弁護士費用

原告ら各自につきそれぞれ一七五万円の弁護士費用が必要である旨主張するが、右金額は本件事案の性質、事件の経過、認容額に鑑みると、相当な範囲内にあるものと認められる。

六  結論

以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は、原告港次郎が一七六四万六八五五円、原告港秀子が一七一〇万四三五五円、及び右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五九年一月二九日から各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において相当であるからこれを認容することとし、その余の部分は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 來本笑子 裁判官 加藤謙一 裁判官 野路正典)

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